こんちは、たかおです。
今日は4/17の日曜日。この一週間前の日曜日の午前にぼくは奥さんを市内の病院に迎えに行きました。
あれから一週間です。早いものです。
ずっと以前から彼女は手術をすることは決まっていたのです。それほど難しい手術ではないとは聞いていましたが、だんだんとその日が近づくにつれてぼくは経験したことのないような不安感に包まれていました。
結婚してもうすぐ丸々6年で、ぼくが独りきりでこの自宅で過ごすのはずいぶんと久しぶりでした。
独りになり自宅で過ごす不安よりも、果たして奥さんはまたこの家に戻ってきてくれるのか・・・。そんな事ばかりが当日自宅から居なくなる日までずっと考えていた。
4/5の日に彼女はこの自宅を後にして、その翌日が手術でした。
4/5の夜に仕事から家に帰ると奥さんの痕跡があちらこちらに残っていました。
トイレにも寝室のドアにも玄関にも冷蔵庫にもあらゆるところに自分が留守にする間の注意書きなどが書かれていました。
「独りで寝れるかな」
とても静かな独りでの夕食。そして猫たちもいつもと違う夜を感じているのか、みゅうちゃん以外はどことなくおかしかった奥さんの居ない初日でした。
みゅうちゃんとレン君。いつもとは違う夜で、ぼくの傍を離れませんでした。
LINE通話で話せるのかなと思っていたのですが、病室が個人部屋ではないのでたぶん難しかったのでしょうか。ぼくが「ご飯を食べて眠る間はLINEをして状況を訊いている毎日でした。
手術の日は、朝の8時30分に病院に到着しなければならないので、電車でいこうと駅まで行ったのですが、当日の朝に沿線で事故かなんだかは分からないのですが遅延していてぼくは大急ぎで自宅まで戻り車で向かうのですが、渋滞のひどい時間で本当にすごく焦りながら逸る気持ちを抑えきれなく急ぎました。
「事故はあかんぞ。事故だけはあかんぞ。」
念仏のように唱えながら汗を噴出させながら病院に向かいました。
時間的には間に合わなかったのですが、奥さんには会えて少しだけ会話というか話をして奥さんはその後看護師さんに連れられて手術室に向かいました。
このコロナ禍ということもあり病院側もコロナ対策は厳重で、夫であろうと行動は制限されてぼくはデイルームという待合室のようなところで奥さんの帰りを待ちました。
ぼくたち夫婦の手術よりあとに手術室に向かった人たちが次々と看護師さんに迎えに来てもらい去っていくのに、ぼくの奥さんは5時間経っても戻ってはきませんでした。
「まさか・・・・」
不安の妄想が吐き気まで催すほどでした。
14時30分過ぎだったか、
「○○さーん」と看護師さんに呼ばれました。
「無事に終わりましたよ」
「あぁぁ・・・・ほんまですか。ありがとうございます」
本当に身体から力が抜けるとはこのことだと今になってはそう思い出すほどの脱力感でした。
エレベーターでまだ麻酔から眼が覚めない奥さんの眠る寝台のところまで案内されて、看護師さんが、彼女に
「〇〇さん、ご主人ですよ」と声をかけるとうっすらと目は開くのですが虚ろで、ぼくは彼女の手を握ると弱々しく握り返してきました。
「ごくろうさんよう頑張ったね。おかえり」
虚ろな彼女とはほんの30秒ほどで別れることになり、ぼくは帰りのエレベーターへ彼女は病室へ向かう寝台エレベーターへ向かいました。
帰りの車中もとにかく事故だけは気をつけなければ、それよりもこれから彼女はどれぐらいの期間か分からないが自宅には戻れないので心配だけはかけれない。ともかくきちんと彼女が帰るまでは独りで頑張らなくちゃと決意しました。
奥さんにいちばん甘えたのぶんこちゃんは、最初の2日はずっと奥さんを探していました。それからは淋しいのか常にぼくの身体にひっつくようにはしていました。
レン君もそわそわして、みんななんだか本当に落ちつかなかったね。
ご飯は奥さんがある程度作ってくれたので木曜日ぐらいまではほぼ何も買わずに過ごせたので楽でした。掃除も洗濯も1度だけしたぐらいかな。
毎晩、LINEをして奥さんの回復ぶりを聞いていたのですが、きちんとこの家に帰ってこれるのか本当に不安でしたね。
金曜日に「日曜日に退院できるよ」と連絡が来て本当に嬉しかった。
猫たちとお祝いしましたね。ぼくだけお酒をいただいてコドモらには缶詰をあげました^^
まだ本調子ではないけど、徐々に回復してきているようで、ほんま良かったです。
「生きてるだけでいい」
ほんとうに何度も思いました。
少しぐらいやかましくても、細かい事を言っても元気で生きてさえいてくれればそれでいいと思いました。
仲良く仲良く家族でこれからもやっていきます。
ぼくも健康で長生きしなければ、それが奥さんや猫たちの為でもあるし、それが家族の幸せでもあるのですからね。
それでは今日はこんなとこで。
ぶんこの哀愁です。
by たかお