1月からたったの数か月で、全世界がなんとも殺伐で閉塞感の漂う景色に変わってしまいました。
わたくしはクリスチャンでも仏教徒でもありませんが、日々祈るばかりです。
早く、一刻も早く1月以前のような暮らしに戻れたらいいなと心より思います。
みゅうちゃんとの思い出
みゅうちゃんへの思いは自分でも正直、正気の沙汰ではないような想いがあります。
少し狂ってるのかなと思うぐらいの時もありました。
今は冷蔵庫の上で箱に入って寝ています。
「みゅうすけー」
ママ奥さんがこう呼ぶと、めんどくさそうに、
「なぁーん」
と、返事をします。
なんとも仲の良いことです。一度でいいから、みゅうと会話がしたいものです。
「みゅうちゃん。ママとにいちゃんどっち好き」と・・・・(笑)
「くだらない人」とみゅうに呆れられそうですね。
ぼくが、みゅうの象徴として思い浮かべる場所というか場面があります。
それは、みゅうがまだ幼い時に過ごした二階の一室です。
ベランダに面する二部屋のうちの一部屋です。
その部屋でみゅうちゃんは約一ヶ月を過ごしたのですが、その頃は夏という事もあり日中は網戸にしていることが多かったのです。
その網戸の下部にね、ほんと下の方です。幾つかシミがついてるんです。それはね、みゅうちゃんの鼻汁や口の涎やまたは分泌物のシミです。
こすり付けてこすり付けて、まだ幼いみゅうはか細い声で啼いていたんでしょうね。
そのシミはもう一つのベランダに面した網戸に座るレン君への恋しさからくるアプローチであったものです。
まだ幼いみゅうちゃん。一体レンくんには何を話しかけていたのでしょうか。
「ねえ、あんただあれ」
「わたしみゅうちゃんていうのよ、また遊んでね」
どのような事を話していたのかは想像しか出来ませんが、ツンデレみゅうちゃんのその網戸のシミを見るとぼくはいつもあの幼少の頃のみゅうを思い出します。
朝にレンやほかのみんなをベランダに出して猫草を食べさす時や、早く帰宅したときに洗濯物を取り入れるとき、ふっとそこに目が落ちるとぼくは斜向かいの部屋の網戸も見てしまいます。
ぶんことの思い出
ぶんちゃんは、今はぼくのこのノートパソコンの前で寝てますね(笑)
最近はテーブルの上で香箱座りで眠ることが多いですね。
安心の座り方みたいですね^^
さてぶんちゃんの思い出というと、ぼくは抱っこですね。
ぶんちゃんは小さなころいつも大きな黒い猫とぼくの駐車スペースに来てはご飯を食べてまた何処かに帰るの繰り返しでした。
ですから、触るとか抱っこはまったくなかったんです。
まる子の保護者のようになってからも、ぶんちゃんはいつもそわそわして頭は撫でれるけども、抱え上げると、身体をぶるんぶるんさせて手と足も拡げて嫌がっていたんですね。
いつからなんでしょうね。ぶんちゃんは今では我が家でいちばん人間の傍に来ては人間の身体に触れてきます。
おいおいぶんちゃんしんどないんか?
そう思うぐらいの格好で、座っている奥さんのお腹によじ登っていきます。
可愛いね。これは奥さんの座っているソファです。こんな格好でいつも奥さんの身体に触れています。
昨日ね二階に上がっていく途中で後ろからぶんちゃんが追い抜く瞬間にひょいと持ち上げたの。
そして片手で、たかいたかーいをしたら、懐かしの身体をよじってじたばたしてぶるんぶるんさせていました。
そのことを食事の時に奥さんと話していて、ぶんちゃんはほんまに人間の事(ぼくら夫婦ね)が好きになったんやなあと思いました。
あのぶるんぶるんさせてる姿や必死の形相で逃げようとするぶんちゃんは、思い出ですね。
次回はまたちかいうちにレンとまる子の思い出も書いてみます。
by たかにゃん